汚い人間

その瞬間から絶え間ない罪の意識を感じてしまった。「何であの時、あんな行動をしてしまったのだろう」と後悔することは、その具合がどうあれよくある。大概は「まあまあまあ」と許せる部分が多い。でもそれが自分の人格にまで及んでしまうようなときは自己嫌悪に陥って、オレという人間を完璧なまでに否定する。
悪いと知りながら悪いことをして、自分が得をしようとして、でもその悪いことをした事実に打ちのめされた時、得をしたはずなのに感じるのは罪の意識。己の醜さ。

罪を犯して、それが許されることはあるのだろうか?
許されるとしたらそれは誰が決めるんだろう?

忘れてしまった罪悪感がある。それは自分なりに消化していて、自分を許せたからだと思う。だが他人からは許してもらえてないかもしれない。忘れられない罪悪感がある。それはどんなに時間が経っても消えない記憶。思い出す度に自分自身を心底軽蔑する。だが他人は何のことやらともう全く気にしていないのかもしれない。
オレが感じている罪は、他人から見れば大したものじゃないのかもしれないし、逆に想像以上に他人から非難されるのかもしれない。
オレは罪滅ぼしに、大事なものを一つ手放すつもり。
そんなことをする必要はないと引き止める人もいれば、そんなことをすることに何の意味もないとさらに非難する人もいるだろう。
大事なものを一つ手放すことで罪が消えるわけではないが、いや、これは偽善だ、オレは罪が少しでも軽くなるのならと願っている。
過ちを犯した事実は認めていたが、誰かが悲しむ声がオレの胸に届いたとき、過ちの重さを知った。
申し訳ない気持ちよりも自分の切羽詰まった姿、余裕のない姿、周りが見えてない姿=悪魔、そんな自分を心底軽蔑する。

オレ、オレとオレばかりを弁解してるように語ってることに釈明の余地はなく、こう告白することで、意図的でないとはいえ、自分一人で抱えるべき罪を軽くしようとしているのかもしれない。なんてオレは汚い人間なんだろう。

たけたけ(川上武範) 1975年7月生まれ。シンプルシンプルデザイン代表。シンプルシンプルデザイン起業時に、この「たびのと」を立ち上げ運用開始。最近(2020年4月15日現在)では、新たに、Filmpathy(フイルムパシー)を立ち上げるべく準備中。