一日一善

一日一善とは「1日に一つの善行をして、それを積み重ねるようにしなさいという呼びかけ」と辞書にある。

以上。

であればいいのだが、よくこんな言葉が付け足される。
「善い行いをしていれば、いずれ自分に返ってくるから」と。
それって見返りを期待しての善行ってことで、偽善じゃないかということ。

でもね、善行であろうが偽善であろうが、手を差し伸べてもらった人にとってはどちらも変わらぬ「恩人」になるのだ。この後、見返りを請求しようものなら、その請求内容によっては「恩人」から「悪人」となる。妥当な見返りを請求することは「恩人」から「凡人」になるだけ。見返りを求めることをしなければ「恩人」のまま。

以上。

であればいいのだが、その「恩人」に第三者はこんなことを言うことがある。
「売名行為だ」と。
人の目を気にして、評判アップを狙っているのではないかということ。

でもね、繰り返しだが、手を差し伸べてもらった人にとっては売名行為だろうがなかろうが「恩人」であることに変わり無い。この後、その一件を相手への配慮なしに武勇伝として語る場合は語られる方は面白くないこともあるかもしれない。ただそんな武勇伝は自己満足にすぎず聞き手には響かないかもしれないし、そうあってほしい。

一番タチが悪いのは、相手と面白くないことがあったときにその相手に対して「あのとき、あんなことしてあげたのになぁ」と思うことで、最悪なのは、それを本人に言ってしまうときだ。
言われたほうとしては、本音かどうかは別として「頼んでねーし」と言い返すかもしれない。

そして本題。

散歩してたら、反対側を歩くおばあちゃんに道を尋ねられそれに答えたとき、善いことしたなと思った。そして「一日一善を心がけてみよっかな」と思い立って。で、そもそも「善」って何?と考えた時、これまで書いてきたような内容が頭の中を巡ってげんなりしたわけ。

というわけで、一日一善を自分に対して行うことにした。

「飯作ったぜ」はい、一善ッ!
「資料作ったぜ」はい、一善ッ!
「ナイスなデザイン発見ッ!」はい、一善ッ!

これなら続けられそうだし。第三者の意見に傷つくことは一切ない。
当たり前が当たり前でなくなる。
普通が普通じゃなくなる。

そうやって自分に「善ーね!」を付けていきたい。

最後に

でね、最初にもどるんだけど、「恩を返したい」と思ってる人からの誠意は、ありがたく受け取るようにしていこうとも思う。これまでは、恩返しを受け取ることはそれをどこかで求めていたことを受け入れるようで拒否する傾向にあった。でもそれはそれで違うと思うようになった。
「助ける」「助けてもらう」ではなくて「助け合う」。
これで決まり。

たけたけ(川上武範) 1975年7月生まれ。シンプルシンプルデザイン代表。シンプルシンプルデザイン起業時に、この「たびのと」を立ち上げ運用開始。最近(2020年4月15日現在)では、新たに、Filmpathy(フイルムパシー)を立ち上げるべく準備中。